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夫を不憫に思う。

ずっと書いていなかった。

私は、比較的調子よく過ごしていた。精神的回復も上々で、新たな気付きにまた救われ、自分の心の置き所を心地の良い場所へ安定させる事ができている。

 

しかしながら、夫はそうではないようだった。

GAには通っているみたいだが、最近はスリップを繰り返している。

苦しんでいそうなことは、本人から話をチラチラと聞いていて解ってはいたが、もともとマインドをオープンにできないことで病んでいる人なので、私に出来ることなど無い。見守るだけ。

スリップする事は、悪い事ではないというか、そうしなければ生きる事さえ難しい状況が本人にはあるのだろう。しかし、ギャンブルをすればそれだけお金も無くなる。家計を管理している私にとっては、苦しい金銭状況のなか夫のことも理解したいというのがとても苦しい。

夫は一人っ子で、父親はそのまた父が早世し母が再婚した家に受け入れてもらえず多感な時期に”自分は捨てられた”という深い傷を負っている人だ。いわばアダルトチルドレン

結婚して15年間、夫の父と私の母は、とてもよく似ている。という話題が夫との会話によく挙がった。

私の母も、筋金入りのAC。たぶん、夫の母も私の父も当然ACなんだけれど、深刻さがそれなりに違うんだと思う。もともとのハートの強さとかも関係あるのかな。

私は、ここ2ヶ月くらい自己断罪をやめるように努めてから心に光が射してきた。

だから、夫にキレたりすることが極めて少なくなり夫婦関係はまぁまぁ円満だった。

けれど、先週末 義父が孫におもちゃを買ったので届けたいと連絡があり、夕方待っているとなかなか来ない。約束の時間から2時間近く経った頃、やっと来て聞くと事故って警察にいたから遅くなったそう。

車は少しつぶれていたけど、まぁ大した事故ではなさそうだったので、私はあまり気にしていなかったけど夫はその後どうにもイライラしているようだった。

そこまでして、やってほしくない。もう、ほっといてほしい。

この感情、私もよくわかる。母がそうだから。

子供の事を思って、なんでもしてあげたい。義父と母はそう思ってやっているんだけど実際は違う。そうすることでアイデンティティを保っている。私たちは、その愛をすごく迷惑でしんどい受け取りたくないって思っていることのほうが多いのに、かわいそうでそう言えない。同情してしまって、突き放す事ができない。自分が突き放したら、崩れてしまいそうだから。

自分がなんとかしなくちゃいけない。そう思ってきた。

その夜、結局イライラする夫に我慢出来なかった私はキレてしまった。

夫は、その時私に言われた事が気になり次の日実家へ話をしにいったようだ。

結果、帰省時には繕っていて気付かなかった現実があった。

母親は、心の空虚を埋めるため家がモノで溢れていた。父親は、病的に株にのめり込み夫婦関係は難しい状況になっていた。

たぶん、夫が小さかった頃から夫婦の関係はこんな感じで、それを自分でなんとかしようとずっと必死だったのだと思う。

それでも、今自分の父親が株に正気を失っていることに、自分のギャンブル依存症がなければ、自分が親にお金を無心しなかったらこんな事にはなっていたかったのかと、また自分を責めていた。

一人っ子で、そんなことを抱えて生きてきた夫を思うと、不憫でならない。

そんな夫の回復は簡単ではないかもしれない。

力になりたいと思いつつ、回復の難しさにイライラしてしまったりするし、今の私にはまだ、どんな風に夫を支えていったら良いのかわからない。

涙が止まらなくなってしまった

また母とのこと。

先日、年末にしたふるさと納税のお礼の品で青森のりんごが届いた。

10kgもあったので、色々な人にお裾分けをして、もちろん父と母にもと思い2個母に渡した。それと一緒に、いつも美味しい物をくれる母の呑み友達Mさんにも2個あげてと渡した。

数日後、母に『りんご美味しかったでしょ?』と聞くと、『あれMさんに4個あげちゃった。お父さんもお母さんも歯が悪くて食べられないから。』と母。

私は、それを聞いてとても悲しかった。

自分で食べてみてとっても美味しいりんごだったから、父と母にも食べてほしいと思った。特に父に。

けれど、父には私がりんごをあげたことすら伝わっていなかった。

母に怒りを覚えた。

こんな風に、いつも母に対して怒りがあった。母はやさしい時だってたくさんあるし、感謝する気持ちも無くはない。けれど、時折どうしても許す事が出来ないような仕打ちをしてくる。

私は、今回この自分の怒りと真摯に向き合う事にした。

この怒りは何からくるのか? それは、悲しさだった。

とてもとてもとても悲しかった。

食べられない物を無理に受け取って欲しいって訳じゃない。

そうならそうと言ってほしかった。そうすれば、どうすれば食べられるかまた私は考えられたし、無理そうなら気持ちだけ受け取ってと言えた。

しかし、母にそう変わって欲しいと願っても苦しいだけだ。

私は、その悲しみと向き合った。

すると、ぽろぽろと涙が止まらなくなりしばらくのあいだ泣いた。

 

”神様 私にお与えください

自分に変えられないものを 受け入れる落ち着きを

変えられるものは 変えていく勇気を

そして 2つのものを見分ける賢さを”

 

平安の祈り。

モヤモヤするときは、何が変えられるもので何が変えられず受け入れるものなのか考える。すると、自ずと答えは見え何をすべきかがわかるようになってきた。

受け入れるというのは、とてもとても難しく苦しい。

それでも、怒りと向き合わず、その内なるエネルギーの増幅を止める事が出来なくなるよりずっとずっと楽だ。

どんな小さな怒りでも、何に怒っているのか問うてみる。

自分に”どうして怒っているの?大丈夫?”と語りかける。

そして、どうしたらその怒りは解決するのか考える。

これをすることで、私のメンタルはかなり健康に保たれる。

母の事は、許すのが大変。けど、母には娘の想いを理解する概念が無いのだから仕方がない。まだ、心からそう思う事はできないけど言い聞かせる。それが事実だから。

まだ泣きたい気持ち残っているけど、たくさん泣いたから怒りはおさまり悲しみもだいぶスーーーッとした。

 

自己憐憫に陥ってはいけない。

私はかわいそうではない。

今までだって、これからだって一生懸命に生きているのだから。

 

 

こだわりからの解放

昨日、ドラマ『嫌われる勇気』を少しだけ見た。

この原作はとても話題になっていて興味があったが、まだ読めていない。

加藤シゲアキ君が、最後のほうに「人に嫌われるかどうか、気にしなくてもいいんじゃないですか?」と言っていたけど、多分、このお話に何かヒントや答えを求めている人は、それは解っているんだけど、そう出来たら楽なんだけど、それをどうしらたいいか解らない、ってところなんじゃないかと思う。

私は、数ヶ月前までまさにそんな心理だった。

けれど、思考がひねくれているので嫌われたくないとか、一人になりたくないとか、そういうの全然ない、とか思っていました。まず、その感情に気付くのに少し時間がかかりました。

自助グループに通い、12ステップを学ぶなかで、私は大切な事にたくさん気付くことができています。

まず最初は、恐れ。あらゆる物を恐れていた。

他人に対しては、自分が思っている事を言えば、人にはどんな風に思われるんだろう。嫌われるんじゃないか。

親に対しては、私がこんな不満をぶつけたら傷ついて自殺してしまうかもしれない。

先読み不安。なんでも、その思考回路で考えていた。

けれど、自分を先読み不安症と思った事はなく、先の懸念材料を予想して堅実に物事を考えられる人間だ。と思っていた。

自分が恐れに支配されていると気付いた時、わたしは解放された。

最初は、なかなか湧き出てくる思考を止める事ができなかったが、その思考は、違うんだよ。と何度も自分に声をかけていると次第に順応していくことができた。

次に、とらわれ や こだわり。

これは、恐れより気付くのに時間を要した。

私は、平日18時まで子供を保育園に預けている。理想の就寝時間は21時。

家に帰ってくるのが、だいたい18時半だから2時間半でご飯やお風呂歯磨きをこなさないといけない。わたしは、この数ヶ月このタイムトライアルにとらわれていた。

なぜか、いつも、これはこうじゃなきゃいけない、というような考えに支配されている。まさか、その思考が自分を苦しめているとは思いもしなかった。

だって、それは、”物事をきちんとこなせる、ちゃんとした人だから私は!”と思っていたから。

承認欲求の現れでしょうか。

近年、SNSの流行であまり人に言っても面白くないようなネタを連投する人に「承認欲求強すぎー、そういう人きらーい」とか思ってましたが、まさかまさかその欲求が誰よりも強いのは自分だったのです。ショック。

第一反抗期まっただ中の子供は、当然ながら私の思う通りに動いてなどくれません。

私の、イライラはいつも沸騰、煮えたぎっていました。

そして、子供に「遅い!早くして!」「何でそんなに遅いの!」とそんな言葉をたった2時間半の間に何度も何度も言っていました。

子供は「母ちゃん嫌い、父ちゃんがいい」と私を嫌うようになりました。

私は別に嫌われてもいいし!と思いながらも、そんな子供の反応が気になりました。そして、育児に大きな不安を覚えました。

そこで、ふと気付いたのです。私は、早く寝かせる事しか考えておらず、たった2時間半しかない子供との時間を、どう楽しく過ごすか、そこに全く思考を巡らせる事はなかったのです。

子供からしてみたら、本当に寂しかったと思います。

一緒にいても、自分の事を見てくれない母親。

私のこだわりは、時間のこと、お世話の順番、いろいろありました。

どうして子供にこんなにイライラしてしまうんだろう。と考えた時、例えば私は全身に保湿剤を塗ってからじゃないとオムツをはかせたりTシャツを着せたりしたくない。順番はこう!パジャマはスボンから履かせる。とか、そんな細かい事まで自分の中で決まっていたんです。だから、その通りに協力してくれない子供にイライラしてしまう。

けれど、その全てを別に何でもいいや!と思った事で、また私は解放されました。

これも、なかなか瞬時に思考を変えるという訳にはいかず、なんども自分で「それはなんでもいいんじゃない?違っていてもいいんじゃない?」と声かけをしました。

そして、それからしばらく経った今、子供の私に対する反応は明らかに変わってきました。

私も、それに気付いた事で、夜の子供との時間がすごく楽しくなり、どうしてあんなに苦しいと思っていたんだろう。というくらいになりました。

あまり時間を気にせずやっても、結局寝かせる時間はそんなに変わりませんでした。

空回りしていました。

目的の無いこだわりに、いいことはありません。

きっと今まで主人をはじめ、あらゆる人が私を助けてくれようとしてきたと思います。けれど、自分の考えているプロセスと同じ物を辿ったものでなければ私はダメだしをし文句を言います。そして、結局全ての仕事を自分で抱える事になり、だれも私の大変さを解ってくれないと嘆くのです。感謝の気持ちを持つ事ができません。

どうして、そんな、何の得もないこだわりを持ち続けるのか?自分に問うてみました。

その理由は、ただ一つ。なにか脳から出るんです。

すごくストレスが溜っている時に、チョコレートを食べたときのような。

自分のこだわりを達成すると、スッとするんです。

これは、依存症のメカニズムと同じだと思う。その行為が、自分に不利益を生むことでもスッとしたいために繰り返してしまう。

こう考えていくと、ずっとギャンブル依存症の夫の被害者だと思っていた自分も、共依存であることはもちろん、それ以外にも色々な依存をもっているのだということがわかる。

被害者だと思っていることが自己憐憫だということにも、最近気がついた。

アダルトチルドレンの特徴として自己憐憫があるが、私はこれが何なのかもよく知らなかった。

そういえば、いつも自分をかわいそうな被害者だと思っていたかもしれない。

毒親に育てられたから、夫が依存症だから、子供が育てづらい子だから。

私はいつもツイてない。どうして私ばっかり大変なの?他の人は、もっと楽に楽しく生きてるのに。とか。

この自分を苦しめる原因に気がつき少しずつだが、生きることを楽しいかも、大変だけど頑張ろうと思う事が出来るようになってきた。

主体性という大切なこと

明けましておめでとうございます。

今年もよろしくお願い致します。

新年早々、母と悶着。私は、我慢する事が出来ませんでした。

なぜこうなってしまうのか、、とも思いますが、自分の成長も感じました。

大変、くだらないことだが母に対し嫌だと思う事を書いておこう。

 

・糸切りハサミを使った後投げて置くので、音がうるさい。

・ラジオが鳴っていることはなんとか順応したが、聞いていると母のアイロンバキュームの音で突然何も聞こえなくなる。

・ほどいた糸を床に捨て、帰宅時に掃除をしない。結果、糸が色々な所に舞ってしまい汚い。

・店舗を構えてお客さんに来てもらっているのに、いつもいない。

・売上と自分のお金が、いつも混ざっている。

・自分で商売をしているのに給料をもらっていないからという理由から、売上を会社に入れているのは私を助ける為だと言う。←頼んでいない。商売しているならちゃんとやれ。

いつも、感情がごちゃごちゃしているから初めて書き出してみたけれど、やっぱり整理するのが難しい部分なんだな。少しずつ、やっていこう。

 

一言で言って、母との共存は無理。とても病んでいるし勝手な人だから。

本人は、いつも自分は被害者で、でも自分を犠牲にして夫や子供に尽くしてるって思ってる。

私と母は、40平米の事務所を使って違う商売をしている。スペースには、パーテーションも何もない。

同じ会社ていうだけで、それ以外は何も関係がない。

自分の商売は自分で責任もってやってほしいが、母はそもそも、自分がやりたくてやってる訳じゃなく私がなかなか売上を稼げるようにならないから、少しでも助けてやってんだ、無給で。というスタンス。

なんという自惚れ。それで、自分を犠牲にして子供を助けてやってると思ってるんだから救いようがない。

売上と個人のお金は違うんだから、きちんとしてください。と何度も言ったが出来ない。ここにも、双方の意識の違い。

母は、そもそも助けてやってるテイだから売上管理なんて事務員のアンタがやって当然。私は事務員じゃないのに。。私は、母が出来ない奴なのでやってあげてるのに、ちっとも言う事聞かない。って思う。

 

こういう色々なことを、我慢してきた。嫌だって言うと母がキレるから。

母はすぐ、アンタの為によかれと思って、と言う。私は、その言葉大嫌い。

ずっと、主体性を無視され続けてきた。自分で選んで、どんな事でも自分で責任を持って生きて行くという楽しみを奪われてきた。

親はいれば有り難い事もたくさんある。けど、1つ頼れば、頼りたくない余計な事もたくさんついてくる。だから、全てを受け入れるか全てを断るか。その2択しか与えられないことになるのだ。

母は、自分の父親アルコール依存症で暴力を振るわれていたから15歳で集団就職し家を出た。20歳で結婚出産したが、夫に暴力を振るわれ逃げて離婚、私の父と知り合ったが自分は子持ち、父はその子を引き取る事を拒否したため母は子供を実家の養子にし、父と結婚。それは、すでに母は姉を妊娠していたから、そうするしかなかったんだと思う。生きている時代があまりにも違うから、なにも私には理解出来ないけど、母には憧れないし、敬うことなど出来ない。ただあるのは、かわいそうな人だという憐れみだ。

けれど、かわいそうだと思っても母の人生を私は背負えない。

 

心を強く持って、本当に私の大切な物を守るために傷ついても傷つけてもその先を見て頑張らなくちゃいけない。

私が、変わらなくちゃいけない。

自分で自分を褒める

私は、自分を褒めたことがない。

子供の頃から『私は頑張ったよ』と言うと、父に『自分で頑張ったというヤツは頑張っていない』と必ず言われた。だから、頑張っても頑張っていると思ってはいけないと思うようになった。いや、正確には何も頑張ることが出来なくなった。

頑張らなければ、父はさらに私をダメな出来の悪い人間だとあらゆる表現で言ってきた。

 

今、私は自分で自分を褒める練習をしている。

この親の呪縛から、一刻も早く逃れたい。

私は、今まで自分で思ってきたほどダメな人間なんかじゃないし、今は頑張ってもいる。

他の人より頑張れていなかったとしても、今私は私の精一杯で頑張っている。

大丈夫、私は出来る。

 

とても悲しい気持ち。

私は、父の会社に入り8年間もがき続けたが、やっと最近になって商売としてやってみたいことに出会うことができた。

それを一生懸命にやれば、父の支配から解放される、そんな想像をして『よし!頑張るぞ!』と思うけれど一向に前に進めない。

こんな深みに嵌る前に、なぜもっと両親と距離をとらなかったのか。今は、そのことに後悔しかない。

最近の父は、私に頻繁に電話をかけてきて『事務所をどうするんだ?』とか、会社をあーしてこーしてそーして、と取り留めのない話を延々としてくる。

私には2歳の子供がいて、毎日大忙しだというのに、人の時間を平気で奪う。

事務所は20数年前から借りている物件で、私はこの場所が好きではない。

ここに1人(気まぐれに母がいるが)閉じ込められているみたいに感じるからだ。

なぜそう感じるのか?わからない。鎖でつながれているわけでもないのに。

先日、父に言い訳をした。いや、そういうつもりは無かったが、自分の状況を説明すると全部はね除けられ結局言い訳をしただけということになってしまう。

私は、産後2週間で仕事を再開した。赤字のお店。赤字でも店を開いていれば注文があり出荷業務がある。仕事量は少ないが、私は41歳で出産し産後は赤ちゃんの事だけを考えることは許されなかった。

父は、私が自分の抱える事情を話すと必ず『お前より努力している人は、いくらでもいる』と、自分の周りにいる人のエピソードを引き合いに出し、私のやる気と自尊心をズタズタにした。

私は、いつも父に怯え、父にこう言われたくない、ああ言われたくないともがき、結局はすべて空回りして失敗に終わった。

 

こうして、書いてみると全部人のせいにしていてガックリするが、今はこれでいいと思う。

自分で自分を肯定しよう。

そうすれば、次第に前向きになれるはずだ。

膨大な不安。

一昨日、子供を預けている保育園の先生と話をする機会があった。

日々、子育ての色々な事を相談していて、私がとても細かい事などを悩んでいる性格に、あまり無理しないよう気にかけてくれる先生だった。

だから、つい話したくなってしまった。自分の今置かれている環境について。

自分が難しい家庭環境に育ち、自尊心が全くない事、夫がギャンブル依存症であること、夫婦で自助グループに通っていることなど。

3時間も話を聞いてくれた。ありがたかった。

しかし、私は家に帰り翌日になってもモヤモヤしていた。話して良かったんだろうか?変な人だと思われたんじゃないか? どうして、私は話したくなってしまったんだろうか?

私は苦しくなり、落ち着こうと瞑想した。どうしてモヤモヤするんだろう? すると、私は感じ始めた。不安で不安で不安で仕方がないことを。

自分が、何を話しても話さなくても人と真剣に付き合おうと向き合おうとすると、不安で仕方がない。

そう気付くと、瞑想中に涙が止まらなくなった。

瞑想を終え、ふと目についた本を読んでみようと思った。

白川美也子先生のトラウマケア。

少し前に購入してすぐ読んでみたが、その時はなぜかしっくりこなかったので置いてあった。

再び読んでみると、自分の事が書いてあるのかと思うくらいに私の欲している情報が書いてあった。

複雑性PTSD

自分の事を、精神的な病気だと思うと抵抗感があった。ずるい逃げ口実のようで。

でも、そういうことじゃなく、私は解ったんだ。私は神経症。ノイローゼ。

自分が弱いからじゃない。自分がダメな人間だからじゃない。

虐待を受けて育ったから、そうなって当たり前なんだと。

保健師さんに、虐待の事を教えてもらってもピンと来ていなかった。

私は、今ハッキリと解った。虐待を受けてきたことを。自分で認める事ができたのだ。

自分が虐待を受けてきたなんて、あまりにもよもやな話しであった。

そのくらい、虐待されていることに気付かず私は愛されて育ってきたと信じていたのだ。

虐待を受け入れる事は、そう、愛されていないと認める事。

それはそれで、辛かった。

でも、親に不義理をしてはならないという気持ちも自分を苦しめていたから開き直れて楽にもなった。どこまでいっても、親に対しての感情は複雑極まりない。

親に対しての感情が限界だった今春、恨んでいたし憎んでいたし嫌いだと思っていた。

しかし、夫の問題で自助グループにつながり平安の祈りや12ステップと出会う事ができてから、その気持ちは静まっていた。

親も、その親に支配されアダルトチルドレンだった。だから、仕方がない。許そう、そんな気持ちになっていた。

けれど再び、新たに気付いた事により親の事がまた許せなくなった。

夫は、それでいいんじゃない。その気持ちを繰り返して前進していくんだよ。きっと。

それでいい。そう言ってくれた。

夫とは、波瀾万丈の15年間だったが、今この現実に立ち向かい受け入れる勇気が持てるのは間違いなく夫のおかげなのだ。