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人生の正解。

私は、今までずっと人生の正解を探して生きてきた。

世の中みんなそうだと思っていた。でも、違うんだよね。

最近、それが違うってことを知ったんだけれど、知って解っても、どうすればいいかまではまだわからない。

すべてには正解があり、それに気がついて生きて行かなければいけないと思っていた。気がつけない人は、馬鹿と思っていたから。

それなのに、40年経った私の人生は全くいいものにはならなかった。

なんでかな、どうして自分だけこんななのかな。と思ったり、”いつか、よくなる。”とか言い聞かせたりした。

夫のギャンブルについて、もう限界だな。と思った今春に、私は、保健所に相談しに行った。そして保健師さんに、定期的に話を聞いてもらうようになり、自分の家庭環境が虐待にあたる事を知った。

親の事が嫌だ。という気持ちを初めて受け入れてもらえて嬉しかった。

散々、甘ったれた人生を送っておいて親が嫌いだなんて、どうしようもない人。

こんな風に思われたくなくて、人にはあまり言えなかった。

頑張りたい!と思っているのに、全然やる気が出ない。どうして、どうして、どうして、何度も考えたけれど解らない。いまもそれは解らないままだけれど、自分の人生を生きてこなかったからだという原因は解った。

たぶん、自分の気持ちを訊くということをした事がない。

いつも、親のことが頭にあり、それに合わせた正解を探していた。

でも、成績も優秀ではなかったし反抗も随分してきたから、親に気に入られたいと思いながらもグズグズした人生だった。

高校生の頃、思い通りにならない私の事を、父はいらないと言ったそうだ。

成人式の着物のお金を、おねえちゃんの分はもらったけどアンタの分は払いたくないと言ってくれなかったのよ。と母が私によく話していた。

父はもちろん、母もどうかしていると今は思う。

結婚生活。

夫とは、好きな音楽のイベントで知り合い半年後に結婚しました。

お互い、ろくに働きもせず、ずっと一緒にいたけれど街にいればお金もかかるので借金をしていました。

夫が『結婚を前提に付き合ってほしい』と言ってくれたので、私はもちろんYESで一緒に住む部屋を探し始めました。

もう大人だし結婚も意識したので、きちんと親に話をして筋を通してから同棲しようと思いました。

そして、私の父に話すと『結婚が前提なら今すぐ結婚しなさい』と言いました。

理由は、娘の同棲をうかうかと認めている親だと思われたくない。と言う事でした。

夫に、その事を伝えると、それならすぐ結婚しようか、と決断してくれました。

住居も入籍日も決まったので、私はそそくさと実家を出て夫と一緒に新居へ住み始めました。

けれど、やっぱり私は親と癒着しているので新居は実家から徒歩5分という立地でした。

入籍するまでの2ヶ月間、婚約中であるのに、父は『それは同棲だ!許さない!』と言って何度も実家に私を呼び出し文句を言うのでした。

そんなこんなで、始まった結婚生活はとても自由で楽しいものでした。

夫は知り合った当時、パチスロの攻略本を作っている会社で働いていました。

当然ながら、夫は大のパチスロ好きでデートでもよくパチンコ屋へ行っていました。

私の父は、昔から土日といえばパチンコ屋へ行く人だったので、ギャンブルをする人に私は全くと言っていいほど抵抗がありませんでした。

むしろ、父もできないパチスロが出来る人なんだ♡なんてトキメいている位でした。

しかし、最初の数年一緒に楽しんだだけで、私は次第にあまり興味が無くなりました。

結婚して、2人の借金を家計から返済する事に奮闘していたので、それどころではありませんでした。

当時、私も夫も給料がそこそこ良かったので2人で300万あった借金も3年ほどでほぼ完済しました。

私は、返済の終わりが見えてきて年齢は32。不動産を買いたいな、なんて夢を膨らませていました。

ところが、夫にその話をすると頑に『家なんていらない』と言います。

夫はまだ20代だから、ピンと来てないのかな。と思っていました。

そして次第に、夫婦喧嘩がひどくなっていき、それどころでは無くなります。

喧嘩の原因は、あまり覚えていません。

その後、夫のうつ病発症と同時に発覚した借金200万円で、家が欲しくなかった理由がはっきりとしたのです。

結婚するとき、今まではいい加減に借金をしてお金を使ってきたけれど2人で一緒にきちんとした人生を歩もう。と約束していたので、私はそれを信じてやってきたし立ち直りたいと思っていた。

けれど、夫が全然違う方向を向いていた3年間だったと思うと悲しかった。

そして、うつ病

家族には、離婚をすすめられた。姉には、覚悟がないのに迂闊な選択をしてはいけないと言われた。

私は、その助言をふまえ姉に言われたとおり、うつ病の夫と生きる覚悟をした。

しかし、驚く事に夫のうつ病は1年足らずで、すっかり良くなり、代わりに私が精神を病んでしまった。

家事、掃除、何もしたくない日々。カーテンも開けたくない。なーんにもしたくない。

生活はどんどん荒んでいった。

そんな生活の中、夫は働きながら私の面倒をみてくれるやさしい人だった。

私は暴君に育てられた暴君。自分の怒りは全て夫にぶつける。

35歳で父の会社に入ってから、さらなるストレスを抱えた私は、より夫に当たり散らかした。

15年間、私の相手は大変だったと思う。

 

アダルトチルドレンの私。

私は、2人姉妹の次女として生まれました。

父は、中小企業の社長。

家庭環境は、バブル期もあり経済的に恵まれていたと思います。

けれど、父はやさしさの仮面をかぶった暴君です。

経済力を最大限に利用し、支配します。

ずっとずっと、親を恨んでいたのに離れる事もできず自分の怒りが何からくるものなのかさえ解らずにいました。

育児放棄をされたわけでもないのに、親に感謝できないなんて”と思いつつ過干渉な親に、イライラしました。

 

あるきっかけで、8年前から私は父の会社で働いています。

父の会社は2つあり、私は子会社にいます。

その子会社は、父が最初に創ったメイン会社から製造下請けするための会社でした。

時代の流れで、製造の仕事は無くなり子会社は休眠せざるを得なくなりましたが、父は閉鎖の決断をすることができず家族の誰かが何か商売をして継いでくれないかと望んでいたのです。

まずは母が、洋服のリフォーム店をやりはじめました。

しかし、事務所の家賃を稼ぎ出すことすら難しい状況でした。

母は、とても器用で裁縫もかなり上手だと思います。

一度、母に洋服を直してもらったお客さんは母のファンになり、どうしても母にやってほしいという声もたくさんあります。

しかし、母は極度の寂しがりやで1人事務所で黙々と作業することができません。

そして、落ち着きがないので少し作業をしては、すぐにどこかへ出かけていってしまいます。

人を雇って、来てもらっていたこともありましたが母の性格上、必ずモメてしまいます。

そこで、父は何を思ったのか私達夫婦に、この会社を継がせようとしたのです。

夫は、うつ病のため仕事を辞めてから、次の仕事がなかなか見つからず困っていました。

私は、夫がうつ病だから頑張って稼がなくては!と張り切っていたのに、だんだん何もしたくなくなり会社も辞めてしまいました。

夫婦で無職となってしまった私たちは、さすがにマズいな。と感じていました。

しかし、2人とも借金に抵抗がないので、しばらくは借金で食いつなげるかな。まぁ何とかなるか。とも思っていました。

そんな時、両親が心配し、子会社で仕事の話があるのでやらないか。と言ってきたのです。

父は夫を呼び出して直接その話を持ちかけましたが、返事はよく考えてからと即答はしませんでした。

すると翌日、母が家に押し掛けてきて今日から事務の仕事があるから来なさい、と夫の返事も待たず会社へ引き込んでしまったのです。

けれど、私はこういう強引な親に慣れていたので特に違和感を感じる事もありませんでした。

違和感どころか、甘ったれの私は、ちょっとラッキーと、どこかで思っていて、加えて私も事務員として参加すると言ってしまったのです。

そして、自分の甘さを、この後、ひどく後悔する事になるのでした。

ギャンブル依存症の夫。

もうすぐ結婚して丸15年。

私28歳、夫25歳のときでした。

結婚して2年後のお正月、1ヶ月お休みをもらいインドへ新婚旅行へ行き

そこからさらに1年後、夫はうつ病になりました。

毎日のように夫婦喧嘩。

暴力も激しくなり、私は家から引きづりだされ路上で殴られ、通りがかりの人に止められる事もありました。

何度も離婚を考えたけれど、決断できなかった。夫を嫌いになれなかったです。

 

ある日、心療内科の受診をすすめました。

同じタイミングで、夫は職場の上司にも言われたとのことで、すんなり病院へ行きました。

診断は、大うつ病

入院寸前だったそうです。

その頃、まだ巷には今ほど うつ病に関しての情報がなかったため、私はとても動揺しました。

しかしながら、同時に200万円の借金も発覚していました。

聞けば、原因はギャンブル。

それから12年間、2〜3年に一度くらいのペースで3桁の借金が発覚します。

今日から

初めてのブログ始めます。

今年の春、何度目か解らない夫の多額の借金が発覚。

さすがに、何かがおかしいな。と思ったことから色々変わり始めた。

心の平安を求めて毎日を大切に過ごしている今。

いろいろなことを、書いていきたいと思います。