読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

膨大な不安。

一昨日、子供を預けている保育園の先生と話をする機会があった。

日々、子育ての色々な事を相談していて、私がとても細かい事などを悩んでいる性格に、あまり無理しないよう気にかけてくれる先生だった。

だから、つい話したくなってしまった。自分の今置かれている環境について。

自分が難しい家庭環境に育ち、自尊心が全くない事、夫がギャンブル依存症であること、夫婦で自助グループに通っていることなど。

3時間も話を聞いてくれた。ありがたかった。

しかし、私は家に帰り翌日になってもモヤモヤしていた。話して良かったんだろうか?変な人だと思われたんじゃないか? どうして、私は話したくなってしまったんだろうか?

私は苦しくなり、落ち着こうと瞑想した。どうしてモヤモヤするんだろう? すると、私は感じ始めた。不安で不安で不安で仕方がないことを。

自分が、何を話しても話さなくても人と真剣に付き合おうと向き合おうとすると、不安で仕方がない。

そう気付くと、瞑想中に涙が止まらなくなった。

瞑想を終え、ふと目についた本を読んでみようと思った。

白川美也子先生のトラウマケア。

少し前に購入してすぐ読んでみたが、その時はなぜかしっくりこなかったので置いてあった。

再び読んでみると、自分の事が書いてあるのかと思うくらいに私の欲している情報が書いてあった。

複雑性PTSD

自分の事を、精神的な病気だと思うと抵抗感があった。ずるい逃げ口実のようで。

でも、そういうことじゃなく、私は解ったんだ。私は神経症。ノイローゼ。

自分が弱いからじゃない。自分がダメな人間だからじゃない。

虐待を受けて育ったから、そうなって当たり前なんだと。

保健師さんに、虐待の事を教えてもらってもピンと来ていなかった。

私は、今ハッキリと解った。虐待を受けてきたことを。自分で認める事ができたのだ。

自分が虐待を受けてきたなんて、あまりにもよもやな話しであった。

そのくらい、虐待されていることに気付かず私は愛されて育ってきたと信じていたのだ。

虐待を受け入れる事は、そう、愛されていないと認める事。

それはそれで、辛かった。

でも、親に不義理をしてはならないという気持ちも自分を苦しめていたから開き直れて楽にもなった。どこまでいっても、親に対しての感情は複雑極まりない。

親に対しての感情が限界だった今春、恨んでいたし憎んでいたし嫌いだと思っていた。

しかし、夫の問題で自助グループにつながり平安の祈りや12ステップと出会う事ができてから、その気持ちは静まっていた。

親も、その親に支配されアダルトチルドレンだった。だから、仕方がない。許そう、そんな気持ちになっていた。

けれど再び、新たに気付いた事により親の事がまた許せなくなった。

夫は、それでいいんじゃない。その気持ちを繰り返して前進していくんだよ。きっと。

それでいい。そう言ってくれた。

夫とは、波瀾万丈の15年間だったが、今この現実に立ち向かい受け入れる勇気が持てるのは間違いなく夫のおかげなのだ。