こだわりからの解放

昨日、ドラマ『嫌われる勇気』を少しだけ見た。

この原作はとても話題になっていて興味があったが、まだ読めていない。

加藤シゲアキ君が、最後のほうに「人に嫌われるかどうか、気にしなくてもいいんじゃないですか?」と言っていたけど、多分、このお話に何かヒントや答えを求めている人は、それは解っているんだけど、そう出来たら楽なんだけど、それをどうしらたいいか解らない、ってところなんじゃないかと思う。

私は、数ヶ月前までまさにそんな心理だった。

けれど、思考がひねくれているので嫌われたくないとか、一人になりたくないとか、そういうの全然ない、とか思っていました。まず、その感情に気付くのに少し時間がかかりました。

自助グループに通い、12ステップを学ぶなかで、私は大切な事にたくさん気付くことができています。

まず最初は、恐れ。あらゆる物を恐れていた。

他人に対しては、自分が思っている事を言えば、人にはどんな風に思われるんだろう。嫌われるんじゃないか。

親に対しては、私がこんな不満をぶつけたら傷ついて自殺してしまうかもしれない。

先読み不安。なんでも、その思考回路で考えていた。

けれど、自分を先読み不安症と思った事はなく、先の懸念材料を予想して堅実に物事を考えられる人間だ。と思っていた。

自分が恐れに支配されていると気付いた時、わたしは解放された。

最初は、なかなか湧き出てくる思考を止める事ができなかったが、その思考は、違うんだよ。と何度も自分に声をかけていると次第に順応していくことができた。

次に、とらわれ や こだわり。

これは、恐れより気付くのに時間を要した。

私は、平日18時まで子供を保育園に預けている。理想の就寝時間は21時。

家に帰ってくるのが、だいたい18時半だから2時間半でご飯やお風呂歯磨きをこなさないといけない。わたしは、この数ヶ月このタイムトライアルにとらわれていた。

なぜか、いつも、これはこうじゃなきゃいけない、というような考えに支配されている。まさか、その思考が自分を苦しめているとは思いもしなかった。

だって、それは、”物事をきちんとこなせる、ちゃんとした人だから私は!”と思っていたから。

承認欲求の現れでしょうか。

近年、SNSの流行であまり人に言っても面白くないようなネタを連投する人に「承認欲求強すぎー、そういう人きらーい」とか思ってましたが、まさかまさかその欲求が誰よりも強いのは自分だったのです。ショック。

第一反抗期まっただ中の子供は、当然ながら私の思う通りに動いてなどくれません。

私の、イライラはいつも沸騰、煮えたぎっていました。

そして、子供に「遅い!早くして!」「何でそんなに遅いの!」とそんな言葉をたった2時間半の間に何度も何度も言っていました。

子供は「母ちゃん嫌い、父ちゃんがいい」と私を嫌うようになりました。

私は別に嫌われてもいいし!と思いながらも、そんな子供の反応が気になりました。そして、育児に大きな不安を覚えました。

そこで、ふと気付いたのです。私は、早く寝かせる事しか考えておらず、たった2時間半しかない子供との時間を、どう楽しく過ごすか、そこに全く思考を巡らせる事はなかったのです。

子供からしてみたら、本当に寂しかったと思います。

一緒にいても、自分の事を見てくれない母親。

私のこだわりは、時間のこと、お世話の順番、いろいろありました。

どうして子供にこんなにイライラしてしまうんだろう。と考えた時、例えば私は全身に保湿剤を塗ってからじゃないとオムツをはかせたりTシャツを着せたりしたくない。順番はこう!パジャマはスボンから履かせる。とか、そんな細かい事まで自分の中で決まっていたんです。だから、その通りに協力してくれない子供にイライラしてしまう。

けれど、その全てを別に何でもいいや!と思った事で、また私は解放されました。

これも、なかなか瞬時に思考を変えるという訳にはいかず、なんども自分で「それはなんでもいいんじゃない?違っていてもいいんじゃない?」と声かけをしました。

そして、それからしばらく経った今、子供の私に対する反応は明らかに変わってきました。

私も、それに気付いた事で、夜の子供との時間がすごく楽しくなり、どうしてあんなに苦しいと思っていたんだろう。というくらいになりました。

あまり時間を気にせずやっても、結局寝かせる時間はそんなに変わりませんでした。

空回りしていました。

目的の無いこだわりに、いいことはありません。

きっと今まで主人をはじめ、あらゆる人が私を助けてくれようとしてきたと思います。けれど、自分の考えているプロセスと同じ物を辿ったものでなければ私はダメだしをし文句を言います。そして、結局全ての仕事を自分で抱える事になり、だれも私の大変さを解ってくれないと嘆くのです。感謝の気持ちを持つ事ができません。

どうして、そんな、何の得もないこだわりを持ち続けるのか?自分に問うてみました。

その理由は、ただ一つ。なにか脳から出るんです。

すごくストレスが溜っている時に、チョコレートを食べたときのような。

自分のこだわりを達成すると、スッとするんです。

これは、依存症のメカニズムと同じだと思う。その行為が、自分に不利益を生むことでもスッとしたいために繰り返してしまう。

こう考えていくと、ずっとギャンブル依存症の夫の被害者だと思っていた自分も、共依存であることはもちろん、それ以外にも色々な依存をもっているのだということがわかる。

被害者だと思っていることが自己憐憫だということにも、最近気がついた。

アダルトチルドレンの特徴として自己憐憫があるが、私はこれが何なのかもよく知らなかった。

そういえば、いつも自分をかわいそうな被害者だと思っていたかもしれない。

毒親に育てられたから、夫が依存症だから、子供が育てづらい子だから。

私はいつもツイてない。どうして私ばっかり大変なの?他の人は、もっと楽に楽しく生きてるのに。とか。

この自分を苦しめる原因に気がつき少しずつだが、生きることを楽しいかも、大変だけど頑張ろうと思う事が出来るようになってきた。