涙が止まらなくなってしまった

また母とのこと。

先日、年末にしたふるさと納税のお礼の品で青森のりんごが届いた。

10kgもあったので、色々な人にお裾分けをして、もちろん父と母にもと思い2個母に渡した。それと一緒に、いつも美味しい物をくれる母の呑み友達Mさんにも2個あげてと渡した。

数日後、母に『りんご美味しかったでしょ?』と聞くと、『あれMさんに4個あげちゃった。お父さんもお母さんも歯が悪くて食べられないから。』と母。

私は、それを聞いてとても悲しかった。

自分で食べてみてとっても美味しいりんごだったから、父と母にも食べてほしいと思った。特に父に。

けれど、父には私がりんごをあげたことすら伝わっていなかった。

母に怒りを覚えた。

こんな風に、いつも母に対して怒りがあった。母はやさしい時だってたくさんあるし、感謝する気持ちも無くはない。けれど、時折どうしても許す事が出来ないような仕打ちをしてくる。

私は、今回この自分の怒りと真摯に向き合う事にした。

この怒りは何からくるのか? それは、悲しさだった。

とてもとてもとても悲しかった。

食べられない物を無理に受け取って欲しいって訳じゃない。

そうならそうと言ってほしかった。そうすれば、どうすれば食べられるかまた私は考えられたし、無理そうなら気持ちだけ受け取ってと言えた。

しかし、母にそう変わって欲しいと願っても苦しいだけだ。

私は、その悲しみと向き合った。

すると、ぽろぽろと涙が止まらなくなりしばらくのあいだ泣いた。

 

”神様 私にお与えください

自分に変えられないものを 受け入れる落ち着きを

変えられるものは 変えていく勇気を

そして 2つのものを見分ける賢さを”

 

平安の祈り。

モヤモヤするときは、何が変えられるもので何が変えられず受け入れるものなのか考える。すると、自ずと答えは見え何をすべきかがわかるようになってきた。

受け入れるというのは、とてもとても難しく苦しい。

それでも、怒りと向き合わず、その内なるエネルギーの増幅を止める事が出来なくなるよりずっとずっと楽だ。

どんな小さな怒りでも、何に怒っているのか問うてみる。

自分に”どうして怒っているの?大丈夫?”と語りかける。

そして、どうしたらその怒りは解決するのか考える。

これをすることで、私のメンタルはかなり健康に保たれる。

母の事は、許すのが大変。けど、母には娘の想いを理解する概念が無いのだから仕方がない。まだ、心からそう思う事はできないけど言い聞かせる。それが事実だから。

まだ泣きたい気持ち残っているけど、たくさん泣いたから怒りはおさまり悲しみもだいぶスーーーッとした。

 

自己憐憫に陥ってはいけない。

私はかわいそうではない。

今までだって、これからだって一生懸命に生きているのだから。